黒羽快斗は悩んでいた。
――――――サクランボ革命。
「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん」
眉間に皺をよせ黒板を睨みつけるように見据えながら、それはそれはなが〜〜〜い溜息を吐いた彼に、ちょこっと天然系な幼馴染などは先生が問題の書き間違えでもしたのかしらと、自分も真剣に黒板を睨みつけている。
しかし、教師は正しく問題を書いていた。ついでに言うならその数式は、教師が今日こそは溜息を吐きまくってちっとも授業に集中してくれない某生徒に一泡吹かせようと目論んでいたため、もの凄く難解なものになっていたのだが。
かといって、その某生徒の頭の中を占めていることは、超難解な数式などではなく(ちなみに答えはわかっている)・・・
何で名探偵のことが可愛く見えるんだ・・・・・!!!!!!????????
そんな、思わずバカ…?と突っ込んでしまいたくなるようなことだった。
そもそもの始まりは、あの厄日とも言える日に自分が悪戯心を出してしまったことだとは思うのだが。
どうにも負けず嫌いだったらしい名探偵は、(想像ではあるけれども)名探偵よりもキッドのほうがキスが上手かったという事態が気に食わなくて、リベンジを決意したらしい。
それ以降、予告状を自宅に届けるよう頼まれ、一課の要請などがないときは常に逃走経路で待っているようになった。
快斗的には、確かにいきなり仕掛けられた最初の時こそ懇切丁寧に気合を入れて名探偵の不意をついたが、それ以降ははっきり言って、色々と危うかった。
多分名探偵のことだから事細かに勉強してきているのだろうけれど、毎回確実に気持ち良くなっていくキスに、実は既に快斗は理性を保つのがやっとだったりする。
今のところ鉄の根性で平然と振舞っているため、名探偵はリベンジが成功したとは思っていないようだが、このまま行くとちょっとまずいんじゃないか・・・なんて快斗は思ったりしていた。
何故なら・・・。
つまり最近の悩みの種―――――――名探偵が可愛く見える、からである。
最初はムカつくやつだと思った。
人を面倒臭いことに巻き込みやがってと。
それが、毎回リベンジを仕掛けてくるようになって、ヘンなヤツだと思うようになった。
くだらない私怨のためにわざわざ予告状から中継地点を割り出したり(キッドを捕まえるということは、どうやらリベンジの影に隠れてしまったらしい)、さらには色々と勉強なんかしているようで。
どうにも拘るところが人とは少し違っているところに、うっかり興味なんてものを持ってしまった。
今までは現場の張り詰めた空気の中でしか対峙したことがなかったから、そうして全くの私用で相対する名探偵の歳相応な態度や反応は、何だかとても新鮮で。
なんとなく、もっと知りたいなどと思うようになっていった。
そんな中、中継地点で、名探偵が何かをぶつぶつと呟いていた日があった。
予定よりも少し速く到着してしまったキッドは、名探偵のそんな様子が気になって、気付かれないようこっそりとビルに降り立ったのだが・・・。
そのときに、名探偵が一生懸命キスについて蓄えた知識を反復している姿を見てしまったのが・・・この、おかしな感情の発端ではないかと思う・・・。
ぶっちゃけアホだろうと思った!
けれど、それを上回る勢いで――――――――――可愛いと思ってしまった…。
それからは・・・何ていうか、もうダメダメだった・・・・。
どう考えても可愛いなんて形容詞は似合わない、キツイ目をしてこちらを睨みつける彼も、罵詈雑言を吐き出して、その上隙さえあれば手やら足やらで攻撃を加えようとしてくる彼も、っていうかそもそも男なのに―――――――可愛く見えてしまう快斗だった。
最近では困ったことに、予告日に彼に会うことが楽しみにさえなってきている。
――――――――オレ、もしかして骨抜きにされてねぇか・・・!!!!!??????
詰まるところ名探偵はリベンジにほぼ成功していると言っていい事態であったが、それはそれ。
快斗が大人しく負けを認めるわけもなく、また新一ははっきり言って鈍かった。
「ともかくだ」
もう一度会って。よくよく考えて。
冷静になれば、どうして可愛いはずもない名探偵が可愛く見えるのかわかるだろう。
そう考えた快斗は、今回もまた律儀に工藤邸へと郵便を出すのだった。
「こんばんは、名探偵」
今回の獲物も特に苦労することなく手中に収め、きちんと公僕の皆様も撒いてきたキッドは、今日も私用で訪れたであろう名探偵との束の間の逢瀬の場所へと降り立った。
やるべきことはさっさと済ませてしまおうと、石を輝く月へと掲げるが、その中に求める泪はなく。
キッドが宝石を確認するのを待って近付いてきた新一に、本日もその身柄を預けようと降りかえり、
「よっ」
目の前に立った彼に宝石を渡しながらも、キッドは数秒沈黙せざるを得なかった。
「・・・・・・・・・名探偵」
「何だ?」
「・・・・・・・・何を持っているのですか?」
「サクランボ」
「・・・・・・・・何のためにというのは訊いてもいいことですか?」
「何か誰かに同じこと言われた気がする」
そんなことを呟きながら、新一はキッドを見て、
「・・・・たいしたことじゃねぇよ。ちょっと気になることがあってだな・・・」
ぼそぼそと拗ねたような声で言い訳めいたことを口にした。そうして恥ずかしそうに視線を逸らした名探偵に、おおよその事情を察し、
(・・・・・・・・・・・・・・可愛い)
うっかりしっかりそう思ってしまったキッドは、自分の思考にくらりと来た。
(あ〜〜〜も〜〜〜〜〜オレダメダメだ!!!!)
ポーカーフェイスの下で、キッドが散々頭を悩ませているのを余所に、
「んなことより!」
自分が一生懸命練習していただなんてキッドには知られたくない新一は、慌てて話を戻す。(ちなみに幾ら慌てたところでバレバレだ。)
「オマエ、結べるか?」
「・・・さぁ、どうでしょう・・・?」
やってみないとわかりませんね、そういうキッドに新一はサクランボを無言で一つ差し出した。
「・・・・・・」
(・・・・これはやれってことだよな・・・・?)
キッドがそんなことを考えながら差し出されたサクランボを凝視していると、それが更にずずいと近付いた。
仕方なくそれを受け取ると枝を口に含む。
(できなかったら格好悪いなぁ〜・・・)
キッドがそう思いながら口を動かす様子を、新一はまるで何かを探るように、じっと見ていた。
そうして暫くむぐむぐと口を動かしていたキッドだったが
(お!)
手応えを感じて、手を口元まで持っていく。
そうして―――――、
「はい、できた」
キッドは内心ほっとしつつ、手のひらに乗せた、きちんと結ばれたサクランボの枝を新一の目の前に差し出した。
暫くそれをじっと見つめていた名探偵は、
「・・・・・・何で出来んだ」
非常に面白くないと言った風な声をだした。
「・・・もしかして名探偵・・・」
「るさい!オレのことはどうでもいいだろ!!!!!」
キッドが続けようとした言葉を慌てて新一が遮る。
(なるほど・・・名探偵はできないワケね。あ〜何かホント可愛いな・・・)
一生懸命キスについての知識を反復していた彼も、こうしてサクランボを使って練習してくる彼も。
例え負けず嫌いな性格からでも、自分とのキスにここまで必死になってくれると、結構嬉しかったりしたりして・・・。
(・・・・あ〜〜〜やっぱコレって、アレかなぁ・・・。)
漸く名探偵を可愛いと思ってしまう原因に思い至ったキッドは、新一には見えないようにこっそり苦笑した。
――――――リベンジ成功だな、名探偵?
(ま、だからと言ってそれを教えてやる気は毛頭ないんだけど♪)
自覚さえしてしまえば、もともと欲しいものには努力を惜しまない性質。
(キスしても平気なんだし、嫌われちゃいないだろ。さぁてどうやって骨抜きにしてやろうかなぁ〜)
開き直ったキッドは、そっぽを向いてしまった新一の顔を暫く楽しそうに見詰めていたが、ふと何かを思いついたような顔になった。
「なぁ、名探偵もやってみろよ?」
「・・・・・・・・・・」
キッドの言葉に、新一の眉間にはどんどん皺がよっていく。
(あ〜どうせ、やったらやったで出来ないってバレるし、やらなかったらやらなかったで出来ないって思われるとか、悩んでんだろうなぁ〜。・・・・・・可愛いなぁ)
そんな新一の思考が手に取るようにわかりながらも、キッドはにっこり笑って
「な?」
もう一度促す言葉を口にした。
神妙な顔をしてサクランボを手に取った新一は、一瞬だけ恨めしそうな目でキッドを見た後、ゆっくりとそれを口に含んだ。
最初の内こそキッドが目の前にいるので、(多分)キッドに心の中で罵声を浴びせていたようだが、だんだんと意識も口の中のサクランボへと向けられていくようだった。
そして、意識が完全に自分から離れると――――――
キッドはニィと、人の悪い笑みを浮べた。
口の中に集中している新一の頤に手を伸ばす。
彼がそれを意識する暇なく、キッドは己の唇で探偵の柔らかなそれを塞いだ――――――。
「・・・・ン――――――!!!」
漏れ出す吐息さえ絡めとるような深いキス・・・。
心行くまで貪って、探偵の膝から力が抜けた頃漸く解放する。
いつものようにぐったりと腕の中に倒れこんでしまった新一の髪を、ゆっくりと梳いてみた。
「・・・・何、すんだ・・・・」
「何って、いっつも名探偵からだし、たまにはオレからでもいいだろ?」
髪を梳く手が気持ちいいのか、目を細めながら小首を傾げる仕種をした新一に、
(・・・・・・・・・・・・・だから可愛いんだよコノヤロウ)
ついついキッドは、もう一度唇を軽く啄ばんだ。
とまらなくなって、二度三度と繰り返し軽いキスを落とす。
されるがままになっている新一に気をよくして、暫く顔中にキスを降らせていたキッドだったが、そういえばと先ほどのキスのことを思い出した。
「名探偵、口開けて?」
言うと、何の疑問も抱かれずに開かれる唇に、
(―――――マジ可愛・・・!)
もう何回思ったかわからない感想を持ちながら、キッドはもう一度その唇を塞いだ。
名残惜しさを感じながらも、目的のものを咥えると今度はすぐに離れる。
「?」
不思議そうに視線で追ってきた新一に、キッドは咥えていたものをひょいと指で摘んで目の前に差し出した。
「・・・・あ」
「ほら」
新一の目の前にぶら下がった、しっかりと結び目ができているサクランボ。
「出来るじゃねぇか」
名探偵も、キス上手いよな〜。
そう言って笑うキッドに、新一は、
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
あんぐりと口を開けた。
どうにも釈然としない様子である。
そのうえキッドの先ほどの発言が納得いかなかったのか、
「じゃぁ何でオマエはいつも平気なんだよ!!!オレがキス上手かったら、とっくにオマエ骨抜きだろう!?」
声を荒げてつっこんできた。
そんな新一に、実際骨抜きにされてしまったキッドは、
「平気じゃねぇよ?」
だけどホラ、怪盗だから。常にポーカーフェイスでいないとな〜〜〜。
ちょっと笑ってそう言った。
相変わらず釈然としないままの名探偵を、いつものように工藤邸まで送り届けて。
別れ際、
「キス、前回より気持ち良かったぜ?練習した甲斐あったな!」
そう言って夜空に戻っていくキッドに、
「くっそー覚えテロ!次こそ絶対骨抜きにしてやる!!!!!」
すっかり怪盗が骨抜きにされていることに、ちっとも気づかない探偵は、顔を赤くして怪盗の背中へと言葉を投げかけるのだった。
「あ〜〜〜も〜〜〜〜ホント可愛い・・・!!!」
月夜の空にそんな呟きが漏れたとか漏れないとか。
―――恋は盲目。痘痕も笑窪。
・・・怪盗キッド、末期であった・・・。
漸く目覚めた恋心・・・。
もうすぐ終わるかな・・・・?