―――探偵失格










聞くたびに、一瞬思考が停止する。





「だから、好きだって言ったんだけど」


聞こえたんだが聞こえないんだが、よくわからない顔をされたので、黒羽はもう一度繰り返した。数秒の間を置いてようやく認識してくれたのか、言われたほうは、何ともイヤそうな顔をした。
「さすがにちょっと、傷つくんだけど」
そこまで露骨にイヤな顔されると。
黒羽は言いながら、ちょっと肩をすくめてみせた。


大学構内も、夏休みとなれば閑散としたものだ。
ゼミやサークルに励む学生達の姿をちらほら見かけはするが、たいした数ではない。授業のない棟などは、それこそシンと静まり返っている。蝉の声と、時折スポーツに興じる生徒達の歓声が、微かに耳に届く程度だ。
そんな適度な静けさを気に入って、工藤は休みに入ってから度々、空き教室を陣取っては、1人読書に勤しんでいた。構内はひんやりと冷たい空気で、労せず煩わしい暑さから逃れられるのも、工藤が空き教室での読書が好きな理由の1つだ。
その快適な時間を頻繁に壊しにくる者、それが黒羽だった。
同じゼミ生であり、仲の良い部類に入る友人ではあったが、工藤は毎度繰り返される彼の話に、正直辟易していた。

「イヤっつーか、面倒くせぇ」
ぶすりと返す工藤に、黒羽はくつくつと笑う。
その楽しげな顔も、工藤の勘に触った。

「だってさ、好きなものはしょうがないだろ?だから相談してんじゃん」
「人選ミス」
「いんだよ、別にアドバイス求めてるわけじゃないんだから」
「なら余計に性質が悪い」

本当に黒羽は性質が悪かった。
毎度毎度、どの空き教室で過ごすかなど誰にも言っていないのに、黒羽は工藤の前に現われては、片想いしている相手がどれだけ好きかを話した。

最初の頃こそ、まぁ友人の相談事だしと親身になって聞いてはいたが、徐々にそれは工藤にとって苦痛以外の何ものでもなくなっていった。
少し照れたような表情で語られる、想い人との出来事。
相手を思い出すたびに、愛おしそうに細められる目。
そのどれもが、工藤をひどく苛立たせた。
自分の苛立ちが何に起因するのか、既に工藤は気付いていたが、だからと言ってそれを認めてやるほど素直な性格ではなかった。ましてや既に、黒羽がどこかの誰かに向ける恋だか愛だかの話を聞かされている。
無神経な黒羽も相当に腹立たしかったが、それでも苦痛に耐えて、黒羽と2人の時間を選んでしまう自分が一番腹立たしかった。

本当のところ、工藤は名前も聞いていない黒羽が語る相手の見当がついていた。
さらにその相手が黒羽にそれなりの好意を持っていることまで知っている。

だからといって。
(黒羽にも、白馬にも、そんなこと教えてやんねぇけどよ)
工藤は、黒羽と、彼に想われる幸せな相手を心の中で罵った。


一頻り想い人の可愛さを語る黒羽に、イヤな顔をしながら適当に相槌をうつ。
工藤は、他人のことばかり語るその口を塞いでしまいたくなったが、妄想だけに留めた。
内容はほとんど聞いていなかった。

窓の外には、一筋の飛行機雲ができている。どの季節にも存在するものではあるが、夏にこれを見ると、何故か夏らしいと思えた。
(−あぁ、いい天気だな…)

気がつくと、先ほどまで日陰であった工藤の手の中の本が、日に当たっている。幾分日が傾いたのだ。まぶしくなった手元に、今日はもう切り上げようかと考え、工藤は本をぱたんと閉じた。
ふと視線を上げると、黒羽がこちらをじっと見ている。

「何だよ」
「…」
沈黙のあと、はぁと溜め息をつかれた。
「聞いてたか?」
溜め息をつきたいのはこちらのほうだと工藤は思ったが、話は聞いていなかったので、あー…と適当に言葉を濁した。
白馬の話題はこりごりだったが、まったく違う話題になっていた可能性も考えて、仕方なく新一は問い返す。
「わり。で?何だって?」

もう一度盛大に溜め息でもつかれるかと思ったが、黒羽は、困ったような顔をして笑った。
「何?」
「だから」もう何回言ったかわかんないんだけどさ。



「      」






「いい加減気付いて?」
言葉と同時に塞がれた唇に、工藤は今度こそ思考が完全停止した。