「好きやねん工藤!!」
――――災い転じて。
厄日という概念が日本には古来からあるわけだが、本日まさしくそれであると言ってもよいのではないか。
逃走途中、たまたま羽を休めに降り立ったビルの屋上近くで繰り広げられる光景に、怪盗キッドは溜息を吐きたくなった。
今回は別に逃走経路を暗号の中に示していたわけではない。
ついでに言うなら、暗号などなくても逃走経路を唯一正確に割り出してしまうであろう彼は、昨夜から一課の方々に捕まっていたはずだった。
それが何で―――――。
怪盗キッドは今日ほど己の表情筋が、ポーカーフェイスを作り出すことに慣れていたことにほっとしたことはない。ぶっちゃけ内心予想外すぎる出来事に、思考が数秒とは言え停止したのは事実である。要するにそれほどまでに驚いたのであった。
本日も恙無く目当てたる宝石を手中に収め、血気盛んな公僕の方々と少々の追いかけっこを楽しんだ後、淡く輝く麗しの姫君のご機嫌をそっと月光に透かしつつ窺がって。ほんの僅かの落胆の後、今回はどうやって姫君をお城へとお返ししようかなどと考えながら、幾分変わった風向きに、一度降り立って様子を見ようとビルの屋上に足を下ろした途端、
「好きやねん工藤!!」
―――である。
勿論これは怪盗キッドに向けられた言葉ではない。
ちなみにありえない話ではあるが、もし向けられようものなら申し訳ないが暫く日本の地を踏めないことを約束しよう。
更に言うなら、この声はキッドが降り立った屋上からしたわけではない。あまりにでかい声だったので聞こえてしまっただけである。
ほんの少しだけ芽生えた好奇心―――思えばこれがそもそもいけなかったのであるが―――に怪盗が辺りを確認すれば、それは隣のビルの最上階のベランダからだった。
そう言えば、警察無線から仕入れた情報によれば、昨夜起こった殺人事件の現場の住所はこの辺りではなかったか。
ざっと見渡せば地表にはパトカーが二台停まっており、一台はちょうど発進しようとしているところだった。その様子から、今し方事件が解決したところなのだろうと予測をつける。
何でかは知らないが今回は西の探偵も一緒だった様子で、更に何でかは知らないが今現在愛の告白劇場が繰り広げられているらしい。
愛の言葉を大声でパカパカと言い募っている西の探偵に、言われる相手は些か後退っているように見えないでもない。
男女問わずモテルのも大変だよなぁ・・・。
そう呑気に、本日の事件を多分ほとんど一人で解決したであろう日本警察の救世主に視線を向けると―――。
「ヤベっ」
視線に気づいたのか、こちらに振り向いた名探偵工藤新一は、キッドの姿にニヤリと人の悪い笑みを浮べた。
「KID!」
自分の好敵手であるはずの人物――少なくともキッドはそう思っている――が、それはそれは嬉しそうにキッドの名を呼んだ。
その後ろに黒い尻尾が見えた気がしてならないのは、決してキッドの気のせいだけではないはずだ。
「待ってたんだ!」
続けられた言葉に、キッドは胡散臭さを隠しきれない。
何というか・・・人の恋路を邪魔する気は毛頭ないのだが・・・・。
思わず溜息を吐きかけたキッドの視界に、名探偵の強い瞳が飛びこんできた。
はっきり言って関わってしまえば面倒臭いことこの上ないと予想できたのに、名探偵の視線は、顔は笑っているくせに有無を言わせない力を持っていた。
仕方ない・・・・・。利用されることはわかりきっていたが、少しだけ、名探偵が大変そうにも見えたので、
「何でオレ、こんなところに降りちゃったかなぁ・・・」
小さく呟きながら、キッドはふわりと新一と、それから西の探偵である服部平次がいるベランダへと舞い降りた。
「こんばんは、名探偵。それから、西の・・・」
「何でオマエがここにおんねん!」
キッドが言い終える前に飛んだ西の探偵の至極当然な問いに対し、それは俺も訊きたいんだけどねと心の中で思いつつ、キッドは新一へと視線を向ける。
「オレが呼んだんだ」
新一は落ち着いた様子でそれに応えながら、キッドへと近付いていく。
対して西の探偵はなんでやねん!と再び大声だ。
西の探偵に背を向ける形でキッドと向き合った新一は、
”スコシダケツキアッテクレ”
そう音にせずに言葉を紡ぐと、再び西の探偵へと振りかえる。
「服部、何度も言うけど、オレはお前のことをそういう対象としては見られない」
何度もという言葉に、あぁ、何度もだったのかと、キッドが奇妙な感慨を覚えていると、
「そんなん!今更照れんでもいいんやで?」
西の探偵が、歯磨き粉のCM宜しくニカッと笑った。
その言葉に、なるほど何度もかと納得していると、キッドの首に不意に力がかかった。
「どうしてだか教えてやるよ」
不敵に笑った新一の言葉に、どういう意味かと考える間もなく首が引き寄せられ、唇に温かくて柔らかなものが触れた。
表情が変わらなかったのは奇跡ではないだろうかと思う程度には驚いて―――。
瞬間引こうとしてしまった身体を、微かな力が引き止めた。
新一の意図を察して、キッドは仕方ないと諦めたように自分の前に立っている男の身体へと腕を廻す。と、満足そうな視線とかち合った。
――――面白くない。
キッドは突然、自分だけが振りまわされているこの状況がひどく不本意なものに思えてきた。
はっきり言ってさっきから心拍数は上がりっぱなしである。不本意だ。
西の探偵にしっかり諦めてもらうための口実に、たまたま通りかかった知り合い(?)を利用するのはいいが。
その知り合いが、天下の大怪盗キッドであると。
・・・・・・・いい度胸じゃねぇか!
キッドは不意に浮かんだ悪戯心に視線だけでニヤリと笑うと、新一の顎へと手をかける。不穏な気配を察した新一が焦って薄目を開けた瞬間、新一の口内にキッドの舌が侵入してきた。
「・・・んっ!!」
驚いて抗議しようとする新一に、目だけで演技だとバレてもいいのかと問いかけると、一瞬悔しそうな顔をした後、噛みつくように深く唇を重ねてきた。
(どうせなら、骨抜きにしてやんないとな〜♪)
相手に快楽を与えることだけを考えて、舌を絡める。
上顎の部分をゆっくりと辿ったり、唇を舌先でなぞったり。
何度も角度を変えて重なり合う唇に、新一の体重が徐々にキッドへと委ねられてきた頃。
目の前で繰り広げられる光景に、呆然と固まっていた西の探偵が漸く復活し、キッドに殴りかかってきた。
「――――っおま!工藤に何しとんねん!!!!!」
言葉とともに繰り出される拳を、新一を腕に抱いたままキッドは器用に避けていく。
全く当たらずに肩で息をしだす服部に、ようやく少し落ち着いた新一は、
「・・・そういうことだからさ、悪いな服部」
そう言うとキッドの耳元で、
「お前、オレを抱えて飛べるか?」
そう呟いた。
・・・・・・このハンググライダーは一人用なんですがね、そう言い返しながらもキッドは新一の背中へと再び手を回す。
「やってみましょう」
ただししっかり掴まっていてくださいね。
そうして新一を抱えた怪盗は、ふわりと夜空へ飛び立った。
「それでは失礼しますよ、西の探偵さん」
「まてやボケェ!」
慌てて追いかけようとする服部に、
「そうそう、本日頂いた宝石、あなたの不運に免じてお返ししておきます。ポケットに入っていますので、博物館に返してあげてくださいね」
そう続けたキッドに、服部は追いかけることもできなくなってしまう。
「こんのどあほう!!覚えとけぇ!絶対監獄にぶち込んだるわ!」
既に遠くなりつつある叫び声に苦笑しながら、キッドは腕に新一を抱いたまま夜空を舞った。
静まりかえった夜半の工藤邸に、ふわりと白い影が降り立つ。
「着きましたよ」
先程の奇妙な告白劇場から、どうせなら家まで送っていけという新一を工藤邸まで送り届けたキッドだった。
ゆっくりと背中に回した腕を解くと、新一はほっとしたように息を吐いた。
流石に慣れない上に命綱さえない空中散歩は緊張するだろうと
「立てますか?」
そう訊いたキッドに、一瞬の間の後、新一は真っ赤になった。
「た、立てるにきまってるだろ!」
だいたいオマエやりすぎなんだよ、そりゃ仕掛けたのはオレだけどと赤い顔のままぶつぶつ呟く新一に、そういう意味ではなかったんだけど・・・と思いつつも、何やら可愛いので訂正しないことにした。
「まぁ今回は、私にとっては突然のアクシデントでしたから。おかげで西の探偵に恨まれることになりそうですし・・・」
そう言って意地悪く笑ってみせると、
「・・・・・・それは、悪かったよ。それに助かった・・・・サンキュ」
そう言ってもじもじとお礼を言ってくる様は、いつも現場で相対していた名探偵とは思えないような素振りで、キッドは少し可笑しくなった。
「ですから、ちょっとはいい目を見せていただかないと」
そう言って、もう一度先程のことを示唆すれば、また更に顔を赤くしてチクショウなどと文句を言い出す。
そうして一頻り名探偵をからかった後、ゆっくりとお辞儀をして、キッドは夜空へと戻っていった。
現場に居合わせてしまった時は厄日だと思ったけれど、
男にキスをされて、そのうえもの凄いイキオイで恨まれて、やっぱり厄日だと思ったけれど、最終的にはそれなりに楽しかったのでよしとしよう。
名探偵、結構可愛かったな・・・そんな怪盗の呟きが月夜の空へと吸いこまれていった。
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平次ゴメンナサイ・・・。