「遅くなっちゃった」
更衣室に忘れ物をしてしまったせいで、アルヴィスを出る時間がいつもより遅くなってしまった。
徐々に暗くなりつつある空に、自宅へと早足で歩いていると、少し先に見慣れた背中を見つけた。

「剣司先輩!」
「おぅ」
「お疲れ様です」
「お疲れ、今帰りか?遅くねぇ?」
立ち止まって待っていてくれた剣司先輩に追いつくと、並んで歩き出す。
「忘れ物しちゃって」
「気合がたりねぇなぁ」
「うー」
喋りながらふと歩き易さを感じて、何となく足元を見ると、さり気なく歩幅が私のペースになっていた。
(…剣司先輩は実は結構優しいな)
少し先にある分かれ道と、空の暗さを見やった剣司先輩に、何を言われたわけでもなかったけれど、多分送っていってくれるんだろうなと思った。

やはり、想像通り、自宅のある方向へ進まなかった剣司先輩にお礼を言うと、
「ま、当然だろ」
そう言ってちょっと笑った。
折角の機会に、アルヴィスのことや、先輩が現役パイロットだった頃の話などを聞きながら歩く。
まだ景色は明るさを残していたけれど、空にはうっすらと星が見えはじめていた。

ふと、私の家へと続く坂を上っている途中、剣司先輩が足をとめる。
つられるように立ち止まり、剣司先輩の視線を追えば、眼下に商店街を見ることができた。
その中には、何やら買い物をしているらしい一騎先輩と皆城さんの姿がある。
(わ、ラッキー)
偶然にも一騎先輩の姿を見ることができて、私は少し嬉しくなった。

店先の明かりがちょうど二人を照らしていて、こちらからよく見える。
何を話しているかまではわからなかったけれど、多分何を買うかの相談だ。
一騎先輩が食材を手に取りながら、時々皆城さんに話しかけていた。
別に何てことはない光景だったけれど、何かがひっかかって、もう一度二人をよく見る。
(?…何に違和感があるんだろう?)

「あ」
それは、一騎先輩の手の動きだった。
右側にある野菜も、左側にある野菜も、全部左手で掴んでいる。
明らかに右手でとったほうがとりやすい位置にあるものさえ。
何でと思う間もなく、原因が視界に入った。

―――――――手を、繋いでいる。


(え、19歳の男同士って、買い物しながら手、繋ぐのかな・・・)

「あの・・・一騎先輩と皆城さんて仲良いんですか?」
思った瞬間、疑問は口をついて出てしまっていた。
「え、あぁ。そりゃ。 何で?」
突然の問いに、どうしたのかと剣司先輩のほうが不思議そうだ。
何だか自分の感覚に自信がなくなって、
「・・・手を・・・・」
「あー」
か細く声を出した私に、剣司先輩は納得がいったようだった。


再び坂をのぼりはじめながら、剣司先輩が二人のことを話しだす。
私は黙って聞いていた。


「あの二人は、特別だよ。自分が自分であるために、お互いの存在が必要不可欠・・・つーの?」

あの頃オレはさ、ホントのとこ、そこまで深い繋がりが二人にあったっていうのははっきりとは知らなかったんだけど。
ファフナーになる感じ、わかるよな。
一騎にとって、ファフナーから自分に戻るためには総士がいないとダメで。
総士は自分が自分であるために、一騎が必要で。

何で一騎しかマークザインに乗れないんだって思ったときにさ、遠見先生が教えてくれたんだ。
お互いがそういう存在である一騎と総士でなきゃマークザインは動かせないって。戻ってこられないんだ。

だけど、あのとき一騎は二回もそういう存在を失ったんだ。
ホントはさ、多分片時だって総士から離れたくないんだぜ?一騎のやつ・・・。
手、繋いでおきたい気持ちもちょっとわかるよなぁ…。

「あいつら見てると、ちょっと羨ましいよ。…オレもさ…親友、いや悪友かな?アイツの手を離さずに…いや、いいや」

(…へぇ)

語った剣司先輩の表情は、どこか寂しそうだったけれど、
先ほどの手を繋ぐ二人の姿が頭を埋めていて、うまく気をまわすことができなかった。




男の人同士、そういう友情があるというのはわかる気がする。
だけど。だけど、あんまり皆城さんが綺麗だから・・・。
一騎先輩があんまり強く皆城さんの手を握りしめているから…。
妙に心がざわついた。



家の前まで送ってもらった剣司先輩の後姿を見送って。

何故か遠見先輩のことを思い出した。



――――――あの人は、どう思ってるんだろう?






********************************








「…みせんぱい、遠見先輩!」
「え、あ、ごめんね」
弓子先生から頼まれた届け物(学校からアルヴィスへ向かう途中でバッタリ会って受け取ってしまった)を、メディカルルームへと持っていったら、ナイショだけどと遠見先輩がお菓子を出してくれた。
遠見先生は、今は真壁司令と打ち合わせ中らしい。
折角なので訓練が始まるまでお茶でもしようと、他愛ない会話をしながらお菓子をつついていたら、いつの間にか、遠見先輩の意識がどこかへ飛んでいた。

「どうしたんですか?」
「なんでもないよ」
言った遠見先輩の表情は、普通に笑っているのに、どこか怯えているように感じられて。
原因は考えないようにしようと思ったけれど。
何だか私まで不安になった。






「じゃぁ、お菓子ご馳走様でした」
「うん、訓練頑張ってね」
扉の前で一礼すると、メディカルルームを後にする。
時間ぎりぎりまでお喋りしていたけれど、その後の遠見先輩はまるでいつも通りで、追求は許してもらえなかった。
(―――――自分のためには、聞くべきだったのかもしれない…)
思いながらエレベータに向かう角を曲がろうとしたとき、反対側から歩いてくる一騎先輩の姿が目に入った。


「あ、一騎くん」


私は角を素早く曲がると、思わず壁に背をあてて立ち止まってしまった。
立ち聞きはよくないし、聞きたくないことである可能性もある。
留まろうとする足を一生懸命に動かそうとしていると、
「ね、今日よかったらウチでご飯食べない?お姉ちゃんが煮物作りすぎちゃったんだけど…」
遠見先輩の声が聞こえてきてしまった。
いつものご飯のお誘いだった。
一騎先輩が遠見先輩の誘いを断らないのを知ってはいたけれど、
『有難う』
『楽しみにしてる』
そういう言葉を一騎先輩が誰かに言うのを聞くのは、やはり気持ちのいいものではなくて。
(あぁ。はやく、皆のところへ行こう―――)
一歩踏み出した私は、
「あ、ごめん、使っちゃわないとダメになっちゃいそうな食材結構あるんだ。残念だけど、家で食べるよ」
けれど、それ以上動けなくなった。


「…そっか、じゃぁ私も久しぶりに一騎くんの手料理食べにいこうかな?」
「え、勿体無いよ。せっかくの弓子さんの煮物だろ?こっちは気にしなくていいからさ」
いいな、今度また誘ってくれよ。
「……………うん」

一騎先輩がメディカルルームを通りすぎ、こちらへ向かってくるのがわかった。
(行か、なきゃ)
私はうまく動かない足を必死に前に出し、どうにか顔を合わせないタイミングでエレベータに乗った。
「…………………」
エレベーター特有の浮遊感を感じながら、私は小さく息を吐き出す。
走ったわけでもないのに、鼓動がはやかった。


(一騎先輩が遠見先輩の誘いを断るの、はじめて聞いた……)


本当なら嬉しいはずなのに、何だか怖くて。
怯えたように見えた遠見先輩の表情が、何故か自分と重なって、なかなか頭から離れなかった。






家に帰ってから買い物にいく途中、連れ立って歩く一騎先輩と皆城さんを見かけた。








********************************






その日の戦闘は、私達がパイロットになってから一番激しかった。
複数箇所から同時に行われた島への同化攻撃。
現存のファフナー部隊では数が追いつかず、どんどん追い詰められる中、それでも死亡者も出さず、短時間で戦闘を終わらせることができたのは――――――。


『僕が囮をやる』


皆城さんからの、信じられないような作戦の結果だった。
どうしてそんなことができるのか、それは皆城さんが巻き込まれてしまうということではないのか。
既に決定事項として私達に伝えられた作戦内容に、疑問は次々浮かんできたけれど、『囮をやる』という当の皆城さんはとても冷静で。
でも、たぶん私達には、作戦の重要な部分は告げられていなかったのだと思う。
この日だけは、私達は周囲への被害の拡大を防ぐための後方支援とされ、一騎先輩と剣司先輩がフェストゥム殲滅の要となった。
激戦となったであろう場所の状況も、やはり私達には知らされず、戦闘終了後、無事島を守りきったということと、一騎先輩の戦闘は凄かったということ、皆城さんが無事だったということを、人伝てに聞いた。














「どうしよう…」
人気のないアルヴィスの通路を歩きながら、私は溜め息をついた。
とりあえず目に見える怪我はなかったけれど、これから検診を受けなければならない。
皆よりもブルクに戻ってくるのが若干遅れた私は、一人メディカルルームへの道のりを急いでいた。
私は周囲を見渡すと、もう一度、深く息をつく。
急いでいたから近道をしようとしたのが、そもそもの間違いだった。
アルヴィスの通路は予想以上に複雑だ。
つまり
―――――――迷ったぁ)

途方に暮れた私は、三回目の溜め息をついた。


(せめて私のIDでも鍵が開く部屋があればいいのになぁ・・・)
凹んでいても仕方がないので、どこかと通信が繋がるところを目指そうと歩いていると、
「?」
小さな音が耳についた。

何だろうと耳を澄ますと、それは何やら話し声のようで。
どうやら、この先の通路に誰かがいるようだ。
(よかったぁ!)
心底ほっとした私は、あわててそちらへと走ると、声のする通路を覗き込んだ。
「すみ…ま、」


呼びかけようとした声を最後まで出すことはできなかった。








ガンっという音とともに、「っつ!」と、痛みをこらえる微かな声。
そこには、怒りを無理やり押し殺したような顔の一騎先輩と、壁に押し付けられて眉をしかめた皆城さんの姿があった。

「総士」
低く、震えた声で、一騎先輩が呼ぶ。
――――見てはいけない、何かが頭の中でそう警告を鳴らすのに、私はそこから動くことができなかった。


人気のない、しんと静まりかえったブロック。
こんな場所があることさえ私は知らなかったが、普段からほとんど人が通ることもないのかもしれない。
今も、二人の先輩と、私以外の人の気配は微塵も感じられなかった。


一騎先輩は、壁に押し付けた皆城さんの肩をぎゅっと握っている。
皆城さんの制服にきつく皺がより、その力の強さを覗わせた。
睨みつけるような一騎先輩の瞳は鋭く、それなのに、全身が不安をたたえているように感じられる。

長いのか短いのかわからない沈黙が過ぎて、やがて、
「オレは、オマエを二度と離す気はない」
苦しそうに一騎先輩が吐き出した。

告げられた言葉に、それまで無表情に一騎先輩を見ていた皆城さんが、ふと、表情を和らげる。
困ったように笑うと、ゆっくりと腕を持ち上げた。


「僕だって、二度とオマエから離れるつもりはない」


そうして皆城さんの細くて長い指が、一騎先輩の頬をつつむ。
一騎先輩の顔が、泣きそうに歪んだ。





ゆっくりと。


ゆっくりと、頬にふれていた綺麗な指先を、一騎先輩の手のひらが包んで。



「そうし」








掠れるような小さな声は、二人の間に飲み込まれた。













********************************











どうやってその場を後にしたのかはよく覚えていない。
ひどく動揺していて、ただ、一騎先輩には気づかれずに去れていればいいと思った。


私の頭の中に、いつかの剣司先輩の言葉がよみがえる。


『あの二人は、特別だよ。
自分が自分であるために、お互いの存在が必要不可欠・・・つーの?
ファフナーになる感じ、わかるよな。
一騎にとって、ファフナーから自分に戻るためには総士がいないとダメで。
総士は自分が自分であるために、一騎が必要で。』

たぶん、そういう存在なんだ。


どんな、感覚だというのだろう。

―――――――キス、してた…)
どんな感覚であれ、あれは、もう、友情とか、そんな生易しい感情じゃない
――――
一騎先輩にあそこまで求められる人がいるという事実に、胸が軋んで。


遠見先輩が怯えていたものが何だったのか、理解した。























昨夜は眠ろうとしてうとうとする度、何度もあの瞬間の二人が頭を過って。
結局眠れなくて、情けないけれど体調が最悪だった。
アルヴィスの制服に着替えるため、ロッカールームへと向かいながら、細く息を吐き出す。
頭がくらくらしていた。


だって。
何かあるとしたって、遠見先輩だと思っていたのだ。
それだって、ずっと先のことだと思っていたのだ。
髪を褒めてくれて。可能性がゼロなわけじゃないと思っていたのだ。

なのに。

(気持ち悪…)


どうにも襲ってくる不快感に耐えられず、壁に寄りかかって座りこんで休んでいたら、
「大丈夫か?」
上から静かな声が降ってきた。


―――――皆城さんだった。


片ひざをついて、顔を覗き込んでくる。
額に触れられた細くて長い指は、ひんやりとした感触がした。
(一騎先輩に、触れていた指…)
「少し熱があるようだな。立てるか?」
「……」
私が応えずにいると、腕が近づいてきて、
「少しの間我慢しろ」
「!?」
「メディカルルームまで連れて行く」
私は皆城さんに抱えあげられていた。


はじめてこんなに近くで見る皆城さんは、睫毛が長くて、色が白くて、やっぱり華奢で。
でも、身体に回された筋ばった腕の感覚に、急に男の人なんだということを意識した。
(男の人なのにこんなに綺麗だなんて、反則…)
そう思うのに、意識した途端顔に熱が集まっていくのをとめられない。
家族以外の男の人に、ここまでしっかりと触れていたことは今までになく、不覚にも、私はドキドキしていた。

振動が身体に響かないよう歩いてくれていた皆城さんの気遣いに、色んな気持ちが綯い交ぜになった。










「遠見」
机に向かって作業していた遠見先輩に、メディカルルームへ入りながら皆城さんが呼びかける。
私は大人しくベットまで運んでくれる腕に身を任せていた。
「皆城くん・・・・どうしたの!?」
「気分が悪いようだ。通路で座り込んでいた。少し熱もある」
私をゆっくりとベットに横たえると、皆城さんはさっと状況を説明する。
それを聞いた遠見先輩は、体温計に水にと、準備してくれているようだ。
少し待っていると、
「熱、はかるよ」
遠見先輩の声とともに、耳に冷たい感触があり、カチリと小さい音が聞こえた。
「ちょっとあるね。今日は何か食べた?」
視線をあげると、遠見先輩が体温計と私の顔を交互に見ている。
(苦しくて…食べられなかったから…)
聞かれた問いに首を横に振った。
「じゃぁまず薬飲める状態にしないとね」
遠見先輩が視界から外れ、今度は皆城さんが私を覗き込む。
その後ろでは棚をあさる音が聞こえている。遠見先輩が、何か、出してくれているのだろう。
視線を皆城さんに移すと、皆城さんは静かに話し出した。
「体調管理も仕事のうちだ。今日はこのまま休んで、しっかりと体調を整えろ。必要なところには僕が連絡しておく」

口調は事務的だったけれど。
目が合うと、かすかに笑ってくれた。無理をするな、と言うように。安心していい、と言うように。


(…キレイな人。)
以前にも思ったことをもう一度改めて思う。そして、たぶんとても優しい人なんだと。

毛布を整えてくれる手の感覚に心地よさを感じながら

(しょうがない…)

そんな思いが胸を過った。











********************************










急に落ち着いてきた気持ち悪さに、休まなくても大丈夫かも…と、色々準備してくれている遠見先輩と皆城さんに伝えようかどうしようかと逡巡していたら、シュッと短く扉が開く音がした。
耳に心地よく響く声が聞こえてくる。
「遠見先生、親父が呼んで・・・って総士!?オマエどっか悪いのか!?大丈夫か!?」
声の主は、皆城さんの姿がメディカルルームにあるということに気づくと、ひどく慌てた様子で。
バタバタという足音とともに、すぐにこちらへ近づいてきた。

「一騎…」
私の大好きな人だった。





「熱あるのか!?ちょっと低いんじゃないか?」
もの凄い勢いで室内に入ってきた一騎先輩は、ベットの横に立っていた皆城さんの全身を触って、確かめていく。
「平熱だ。一騎」
皆城さんは、言いながらとても…とても困ったような顔をした。
「じゃぁ貧血か!?オマエまた朝飯抜いて…はないか」
一騎先輩は、相変わらず、肩に頬に額にと、触れていなければ安心できないとでもいうように、あちこち触れている。
「一緒に食べただろう」
「じゃぁどっか痛いのか!?」
「…しいて言うなら頭か?」
矢継ぎ早に繰り出される質問に、本当に頭が痛くなってきたように、皆城さんはこめかみを押さえた。
その隣では、遠見先輩もこめかみを押さえている。
「何!?大丈夫か!?」
本気で心配している様子の一騎先輩に、申し訳ないが私は何だか笑いたくなってきた。
「「はぁ…」」
遠見先輩と皆城さん両方から、盛大な溜め息が漏れる。
遠見先輩は、本当にやってられない、そんな顔をしていた。
「一騎くん」
「遠見、総士は…」
「違うわよ 体調悪いのは彼女。皆城くんは連れてきてくれただけ」
これ以上一騎先輩に何か言われる前にと、遠見先輩が言葉をかぶせる。
「え?」
遠見先輩がベットのほうを向くのにあわせ、一騎先輩もゆっくりとこちらに顔を向けた。
私と目が合って、固まること数秒。


「…………………」
「…………………」


「わぁ!!!!!!!!!ごめん!!!!その、だ、大丈夫か?」
「あ、はい」
顔を真っ赤にして、わたわたし始めた一騎先輩は、とても…いつもの頼りになる先輩には見えなくて。
様子を見ていた皆城さんが、もう一度溜め息をつく。
「一騎、僕達はいくぞ。あまり騒がせては」
「あ、そうだな。ごめん」
言いながら、既に出入り口に向かって歩きだしている皆城さんを、一騎先輩が追う。
隣に並ぶと、一度こちらを振り返り、
「ゆっくり休めよ。遠見、よろしくな」
一騎先輩はそう言った。
私はこくりと頷き。
遠見先輩は、「うん」と、手を振りながら返事をした。

二人が室内から通路へと出て、扉が閉まる直前。
「焦らせるなよ…」
心底安心した顔の一騎先輩が、そっと皆城さんの髪を一房手にとり、口付けるのが見えた。















何か。
バカらしくなった。



「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「髪・・・」
「うん?」
「まえに、髪、きれいだねって言われたことあるんです」
「・・・・」
私は、一騎先輩を意識し始めた切欠を思い出していた。
遠見先輩は、そこまで聞いて、既に渋い顔をしている。
気づかなければよかったという気持ちと、もう本当にしょうがないなぁという気持ち。そんな感情が心の中に生まれては消えてゆく。

「私の髪の色とか長さって・・・・」
「・・・」


皆城さんの髪を連想させるには、とても、ちょうどいい、髪だった。



「遠見先輩は・・・こうなるってこと、知ってたんですか・・・?」
だからどこか、怯えた目をしていたの?
それまで何も言わず、ただ困ったような切ないような顔をしていた遠見先輩が、ほっと息を吐き出した。
ベットのふちに腰掛けると、私を見て、にこりと笑った。
「可能性の一つとしては」
でもさ、でもね。
やっぱり悲しいものは悲しいね。

何となく、引き寄せられるように、私は遠見先輩に抱きついた。
体温が暖かい。
遠見先輩も私を優しく抱きとめてくれた。

「遠見先輩、今日、のみませんか」
「何いってんの14歳。でも、今日ばかりはつきあうわ」


切ない心に、同じ暖かさの腕があるのが、今はとても有難かった。













数日後。
久々の休日に、クラスメイトの家に遊びに行く途中。
防波堤を歩く一騎先輩と皆城さんを見かけた。

2歩ほど先を歩いていた一騎先輩が、ふと立ち止まり振り返る。
ゆっくりと、皆城さんへと手を伸ばした。
少しの間をおいて、皆城さんは、差し出された手に自分の手を重ねる。
同時に、二人の距離がつまった。
一騎先輩が皆城さんを引き寄せたのだ。
額をあわせるようにして、2〜3言葉をかわすと、一騎先輩が皆城さんの左目の傷にそっと唇を押しあてて。
皆城さんは、くすぐったそうに瞳を閉じると、微かに目元を赤くした。
そうして笑い合って。







私は二人から視線を外すと、頭上に広がる真っ青な空を眺めた。

「あぁあ」


恋をしていた私のように。遠見先輩のように。
一騎先輩と皆城さんも恋をしていたんだ。
もしかしたら恋という言葉では表しきれない何かがあるのかもしれないけれど。


「私にも、いつかあそこまで想いあえる人ができるといいな」



二人がこれからも幸せでありますように。
いつかそう思える日が来ることを祈って、涙が流れないように、私は一生懸命青い空を見つめた。










********************************









信じていたのは、俺だけだったと思う。
でも、こうして、かえってきて、くれた。










突き抜けるように青い空の下、防波堤をのんびりと歩く。
風が冷たくて気持ちいい。
いつも以上に心地よさを感じるのは、少し後ろを歩く存在のせいかもしれなかった。
目的地は特になく、今日が非番の二人には、今のところ時間の制約もない。
一騎は立ち止まると、後ろを歩く彼を視界に入れるため、振り返った。


「総士」

名前を呼んで手を差し出せば、遠慮がちに重ねてくる。

「何だ?」

「何でもない」

そっと引き寄せて左目の傷に唇をあてると、くすぐったいのか総士は少し身を震わせた。
(ここまで、元通りにしなくてもよかったのに)
思いながらも一騎は、自分と総士にちゃんと過去のつながりがあるような気がして少しだけ嬉しくなる。
「ちゃんと、成長してるのって、何か不思議だな」
それは常々思っていたことではあったが、そういえば改めて問う機会がここまでなかったことだった。
一騎は自分の額を総士の額にこつりとあてて、瞳を覗き込む。
成長した総士は、それでも一騎より頭半分ほど小さくて。
ずっと見上げていた彼を視界におさめられるのは、何というか、よくやったオレ、という感じだ。
総士は一騎の目を見返すと、少し首を傾げて口を開いた。

「意識だけの存在のとき、オマエと一緒に5年を生きていたらどうなっているだろう。そんなことを考えていたように思う。そうして再構築を終えた体は、予測値から出た、僕の5年後の姿を形成したんだと思う」

それは、ただ事実だけを告げる口調だった。
総士は特別何かを思って話したわけではなかったのだろうけれども。
それでも一騎は、その内容に嬉しくなる。
一緒にいたら。
”もしも”の話ではあるけれど、総士が自分と離れている間、その想像をしてくれていたというのは、ひどく幸せだ。

でも。
「あんまり綺麗だから、ちょっと、困った」
「何だそれは」
成長した総士は、本当に綺麗で。オレもドキドキするけれど、皆もドキドキしているから。
一騎は総士を抱きしめる腕の力を少しだけ強くした。

「一騎?」
総士は逃げる素振りもなく、大人しくそこにいる。そのことは、一騎に小さな安心感をもたらした。
「ホントは、ずっと、こうしてたい」
消えないように、誰にも連れさらわれないように、毎日腕の中に閉じ込めてたい。
できないとわかっていても、それは一騎の本心だ。
総士の髪に鼻先を埋めながら、一騎はこの切実さの1万分の1でも、総士に伝わればいいと思う。

「…」

海からの風が二人の周りを静かに吹き抜けた。
潮の香りが鼻腔を擽る。


少しの間言葉を発しなかった総士は、ことりと、一騎の肩に頭をのせた。
さら、と、栗色の髪が流れる。



大丈夫、僕はオマエがいるかぎり、オマエの傍にいる。
オマエが信じたから僕がここにあるのだから。





それは声として発せられた言葉ではなかったかもしれないが。
一騎には、総士がそう言っているように聞こえた。


「そうし」
一騎は一音ずつ確かめるように、名前を、呼ぶ。
柔らかな日差しが空から降り注ぎ、世界はとても穏やかだ。
「何だ」
応える総士の声もとても温かなものに感じて、一騎は頭のすみで、陽だまりについて考えた。

「そうし…………総士」

陽だまりは、今、ここにある。
一騎はゆっくりと、幸せな空気を吸い込んだ。







「総士、おかえり」



「ただいま、一騎」


もう一度、一騎は腕の中の温もりを強く抱きしめた。














********************************
END












































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































お付き合い有難うございました!